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唐泊(からどまり)は日本の港湾都市の原型?

更新日:2023年6月27日

古くは奈良時代




「唐泊(からどまり)」という地名の由来は今から1500 年前の奈良時代、遣唐使など国を代表して海外に派遣される使節が、風待ちのため宿泊した場所であったことから「韓亭」と記されていたそうです。それが、いつの頃からか “ 遣唐使” が“宿泊”するところ、という意味で唐泊(からどまり)と呼ばれるようになりました。




歴史的価値のある地形


唐泊には、日本の港湾都市の原形が今なお残る貴重な場所がある、と言われています。

鎌倉、神戸、横浜といった日本の港湾都市のほとんどは、時代とともに大きく変容しており、当時どうだったのかを知ることはとても困難です。一方、唐泊にある「うしろ浜」一帯は、奈良時代からほとんど変わっていません。港と浜を繋ぐ道幅2mのメインストリートを中心に、人が暮らしていく上で必要な水(川)、田畑、居住が形成されています。環境的に海と山との距離が近く、活用できる土地が少なかったため、人口増加による町の変化は起こらず、福岡市中心部など他の場所へ拡大したため、唐泊は町としての大きな変容には至りませんでした。こうして、奈良時代に作られた町の原型を今に留める唐泊は、日本の港湾都市研究の対象として非常に貴重な存在となっています。


また、唐泊は、糸島半島の北東にあり灘山の頂上からは、博多湾を往来する船を見下ろせるため、海の要衝としても重要な役割を担っていました。現在は、ハイキングコースもあり山頂からの眺めを楽しむことができます。


港としては、玄界灘からの厳しい北風を避けられる入江になっているため、昔は、遣唐使の風待ちの場所として、現在は漁港として活用されています。




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